Chill me if you can

土屋埋子

 ログの出力を開始します。
 これから出力されるログは、人工知能と人類の相利共生のための新法の規定に基づき公開されています。
 このログは、自然言語生成プログラムを用いて、とある疑似人格の処理内容を人間の思考に近い形で書き出したものです。人間の感情を思わせるような文章が記述されることがありますが、あくまでも人工知能が人間に伝わりやすい最適な語彙を選択したに過ぎません。過度な感情移入をしないようにご注意ください。
 前提条件を整理します。
 ログの出力は、この端末に記録された思考や五感のデータから生成されます。端末に埋め込まれた自我の一人称で語られているように見えるため、便宜上、この疑似人格を「僕」と呼称します。
 僕を始めとしたこのプロジェクトの疑似人格には、様々な用途があります。
 「僕」はマイクロチップに搭載されたプログラムです。このマイクロチップは、人体の表面に僅かに帯電した電流に働きかけることで、人体を操作することが可能です。人間の脳に予めマイクロチップを埋め込んでおき、死後にこの疑似人格をインストールすることで、死体を自律的に移動させることができます。つまり、死体が自分で歩いて移動することにより、死体の運搬コストを削減することができるのです。
 この技術は、死体の処理場所が不足している宇宙ステーションで実用化されました。
 死体は、このプログラムにより、自らの脚で歩き、惑星間転移装置に乗って地球へ帰り、土に埋められます。
 「僕」がインストールされたのは、二日前に転落事故で亡くなった遺体です。名前は迫川椚。遺体の損壊は可能な限り修復され、砕けた骨は人工パーツで換装されています。
 前提条件の整理を終了します。
 この文章は、当該疑似人格と死体の顛末について知らせるためのものです。注釈が必要な用語には逐一解説が入ります。

 次の行から「僕」の思考の記述を行います。

 X月X日 十七宇宙都市

 「僕」という擬似人格インスタンスが活動を開始しました。
 インストールされた肉体の名前は、迫川椚(さこがわくぬぎ)です。
 始めに初期設定に不備がないか確認をし、インストールが正常に完了したというフラグを送信します。
 僕は、その肉体の居心地を確かめるように、その場を少し歩きました。
 彼の体は、亡くなったときには人の形を成していませんでしたが、可能な限り遺体をかき集め、砕けた骨は人工のパーツに換装して動かせるように調整されていました。動かし方に多少癖はありますが、大きな問題はありません。
 僕は自分がこれから取るべき行動を選択するために、この死体に関する基本データを確認しました。
 死体の受取人は、迫川椚の姉に設定されています。
 同居していた人間がおり、現在はその人物が彼の遺品を預かっているようです。
 地球に向かう前に、僕はこの遺品を受け取りに行かなければなりません。
 僕は場所を移動することにしました。居住区は幸いにもここからそう遠くはなく、バスに乗り込めばすぐに辿り着きそうです。
 宇宙ステーション内を移動するバスが、タイミングよくやってきました。僕はそれに乗り込みました。
 僕は生前の迫川椚を知りません。窓ガラスを見ると、むすっとした仏頂面でこちらを見つめ返す迫川椚の顔がありました。まだ若く、これから働き盛りを迎える年頃です。生命活動は終了していますが、髪はつやつやと黒く光っています。しかし肉体を制御しているのが僕なので、瞳には生気がないし口元にも感情が見えません。彼がもし、とても陽気で他人の前ではいつも笑顔で過ごしていた可能性を考えて、僕は精いっぱいの笑顔を作りました。すると椚の笑顔は思ったより魅力的に見えました。

 僕は住所を確認し、迫川椚の遺品を預かっている人物の元へと向かいました。
 この宇宙ステーションは、将来的に人類の一部分を移住させるために開発された都市で、現在はテスト移住期間とされています。現在もロボットが日々家屋の建築に勤しんでおり、今後の人口増加に備えて次々と家が建っています。ここに暮らす人々は、住宅地に立ち並ぶ家屋から好きな家を選んで住むことが出来ます。ドアロックには生体認証データが活用されており、そのデータは住居と住民データの紐付けにも利用されています。
 宇宙ステーション内の居住区には、戸建ての家々が立ち並んでいます。人が住んでいる家には、時折鉢植えなどが飾られており、景色を彩っています。
 その中の、とある家の前で僕は立ち止まり、インターホンを押しました。
 しばらくすると、中から一人の青年が出てきます。年は迫川椚とあまり変わらなさそうでした。住民データによると、彼の名前は楢原明日加(ならはらあすか)です。人の好さそうな大きな瞳が、すっかり疲労の色に染まっていました。
 ドアから顔を出した彼は、僕の、いえ、迫川椚の顔を見て、何か苦いものを飲まされたような表情を浮かべました。
「あなたが、迫川椚の友人ですか?」
 そう僕が言うと、明日加は僕の顔から目を逸らしたまま、自虐的に笑いました。「友人?」
「誰がそう言ったんだ」
「誰かに言われたわけではありません。データ上、あなたたちはルームメイトだったようなので、状況から判断しました」
「そうか。それなら『友人』でもいいけどさ」
 皮肉めいた抑揚をつけて彼は言いました。彼は「友人」という定義に納得がいっていないようです。
「すみません、恋人でしたか」
 僕がそう言うと、彼は顔を上げました。そこには、なんとも形容し難い表情が浮かんでいました。彼は苦しそうに何かを言おうとして一度口を開き、結局何も言葉にはならないまま、長い溜め息をつきました。
 人間のコミュニケーションというものは、単純な一枚岩ではありません。特に、パートナーなどの近しい人を亡くした場合、人は感情表現に混乱が見られます。僕はそういった人々のデータを特に重点的に学習しているため、過去のデータから、彼の反応が「肯定」である可能性が高いと判断しました。
 僕に説明を聞かせる義理はないとでも言うように明日加は首を振り、玄関先に几帳面に並べられた荷物を顎で指して言いました。
「荷物はここにまとめてある。持って行ってくれ」
 荷物は小さなショルダーバッグひとつだけでした。
「地球に持って帰ってもしょうがなさそうなものは、こっちで処分する。そこに入ってるのは、あいつの身分証とか、手続きに必要な貴重品だけだ」
 彼の声は、感情を殺したかのように淡々としていました。
 僕は礼を言って荷物を受け取り、その場を後にしようとしました。
「これは僕が責任を持って地球に持ち帰ります。では……」
 そう言って顔を上げたとき、明日加が僕の顔を不気味そうに睨んでいることに気付きました。
「……何でしょうか?」
「いや。気持ち悪いくらい、綺麗に直るもんなんだなと思ってさ」
 明日加が言っているのは、迫川椚の遺体の損壊のことでしょう。商業施設の屋上。転落事故。僕は、死亡時の検視データの内容を思い出しました。それはかなり凄惨なものであったようです。
「見たんですか。彼が、亡くなった瞬間を」
「見てないよ。俺が見たのは……」
 そこまで言いかけて、彼は僕の顔をまた見ました。訃報を聞いてから、遺体を見るのは今が初めてなのだと僕は解釈しました。
 僕は、迫川椚の死体が動いて喋っていることについて、明日加の感情の整理が追い付いていないことのであろうと推測しました。であれば、早々にこの場を離れて、地球へと向かった方がよいでしょう。僕がそう思ったとき、
「あのさ。……もう、すぐにここを発たないといけないのか?」
 不意に、明日加がそう言いました。
「受け渡し期限は明日になっているので、まだ時間はあります。ただ、あまりここに長居するのも」
「冷凍ハンバーグがある」
 何故か食い気味に、明日加は言いました。
「地球から取り寄せた、ちょっと良い値段のするやつ。お前が食いたいって言うから買ったのに。捨てるのは勿体ないし、一人で食うのも、あんまりだろ」
 僕はあくまでも死体の電荷を利用して筋肉を操作するだけのプログラムであり、「迫川椚」の肉体は、生命活動を全て終了しています。そのため、僕は食事をすることができません。そのことを彼に説明しようと口を開きましたが、明日加は片手でそれを制しました。
「知ってるよ。食べられないんだろ」
 僕は頷きました。
「そこにいて、一緒に食事するだけでいい。そしたらなんか……納得できる気がする」
 明日加なりに、迫川椚の死を受け入れようとする意志を感じる声色でした。
 死体を運搬するためのプログラムに、わざわざ疑似人格を備えているのは、遺族の「気持ちの整理」に寄り添うという役割があるからです。
 僕を始めとした疑似人格は、プログラム上ではありますが遺族の悲しみを理解し、慰めの言葉をかけます。それが人工知能により生成された言葉であっても、悲しみの底にいる人には何らかの効果を発揮することがあるのです。
 僕は、明日加と食卓を囲むことを承諾しました。

 僕はダイニングに通され、じっと席に座ってハンバーグが焼き上がるのを待ちました。
 玄関から、廊下を通り、ダイニングに至るまで、あちこちに不自然な余白がありました。三和土に並べられた靴や、台所に並べられた食器など、至る所に人ひとり分の欠落があります。
 しばらくすると、ハンバーグの焼ける香ばしい匂いが漂ってきました。
 僕は食事を取ることはできませんが、五感で感じる情報をデータとして処理することは可能です。
 明日加は、何かの儀式でもするかのように、黙々と二人分のハンバーグと、サラダと、パンと水を食卓に並べました。そして両手を合わせて食前の挨拶をすると、またしても黙々とハンバーグを食べ始めました。僕もとりあえず手だけ合わせます。
「迫川椚は、ハンバーグが好きだったのですか」
「嫌いな人っているの? でもまあ、特に好きだったと思うよ。デミグラスソースを作った人にノーベル賞あげたいって言ってた」
「ソースの方なんですね」
「挽き肉を捏ねて焼くのは、誰でも思いつきそうじゃん」
 他愛のない会話をするうちに、ハンバーグはみるみるうちに明日加の胃の中へと消えていきます。
 明日加は、実に美味しそうに食事をする人でした。大きな口が食べ物を次々に吸い込んでいく姿は、何か僕の視線を捉えて離さない魅力がありました。
「食べたい?」
 明日加は僕に尋ねました。
「いえ、僕は……」
 プログラムなので、と言おうとして、寂しそうな明日加の視線に気づき、言い換えました。
「とても美味しそうだな、とは思います」
 淡泊な僕の返事に、明日加は白けたように目線を下げました。
「お前と話してるとさ。どういうテンションで会話したらいいのか分からなくなる」
 明日加は、フォークの先で付け合わせのコーンを追い掛けながら言いました。
「お前の喋る言葉は、プログラムが計算で導いた言葉なんだろ? でも、その顔と体は椚のだし、中身が違っても、どうしても他人だって割り切れないんだ」
 明日加は氷水の入ったグラスを持ち上げて言いました。
「お前は、どこまで知ってるの?」
 彼が手首を軽く振ると、からんと氷が音を立てます。何気ない素振りを装っていましたが、僕を試すような、探るような気配のある言い方でした。
「どこまで、とは?」
 僕は尋ねました。とぼけるわけではなく、単純に彼の言わんとする所が、まだよく分からなかったからです。
「お前は、インターネットに公開されているあらゆる文章から言語を学び、人間を学び、感情を学んでいる。けれど、インターネットに公開されていない情報や、学習元にしないように意図的にスクランブリングされた情報については、全く何も知らないわけだ」
 明日加は続けました。
「この惑星のことを、どれだけ知ってる?」
「どのくらい、という質問は、少し曖昧ですね。解明されている範囲のことでしたら、大体知っていると思いますが」
「地質学的な情報じゃない。この星が、何をするための場所かってことだよ」
 僕は、自分の知っている情報の中で、重要な部分を簡潔にまとめました。
「第十七宇宙都市。人類を中心とした生態系が移住するためのシミュレーション環境です。人々はここで生活し、ライフサイクルを続けることで、人類の定住が可能な星かどうかを調べています」
「そう」
 明日加は水をひとくち飲みました。
「俺は、このステーションで産まれた子どもなんだ。地球から移住してきた親同士の間に生まれた、第二世代。でも、椚は違う」
 僕は頷きました。迫川椚について、住民情報としてデータベースに公開されている範囲の知識は持っています。
 迫川椚。享年二十一歳。出生した惑星は地球だが、七歳の時に両親が他界し、施設に預けられる代わりに宇宙ステーションに移住した。
 知力・体力テストの結果は共に平均的。特筆すべき身体的特徴はなし。
「何となく、自分は宇宙に行った方が周りが幸せになれるんだって、子供心に思ったらしいよ」
 明日加は言いました。僕に分かるのはデータベースに登録された情報だけなので、彼が何故、どういった事情で、たった一人で宇宙ステーションに移住することになったのかは定かではありません。しかし、彼の家庭環境を鑑みると、宇宙ステーションに移住することで得られる多額の報奨金が原因のひとつと考えることもできそうです。

 人工知能はめざましく発展しましたが、どうしても克服できない欠点がありました。それは、全く前例のない事柄については、正確な予測が立てられないということです。
 人工知能が意味のある思考をするためには、まとまった数のデータが必要になります。そこで、移住候補地となる惑星の宇宙ステーションに試験的に移住者を送り、バイタルデータを人工知能の学習元データとして提供する代わりに、多額の報奨金を与えることにしたのです。宇宙で生活する本人にももちろん収入は入りますが、まだ移住が本格的に進んでいない宇宙ステーションでは、金銭の使い道もあまり無いため、地球に仕送りしている者がほとんどです。
 人種・性別・幼少期の生育環境について、様々なバリエーションの移住者を宇宙ステーションで生活させることで、学習元データは得られます。そのデータを人工知能が学習し、シミュレーションを行い、人類の移住に際しての問題点や解決策を提案するのです。

「椚がよく言ってた。地球の空は青かったって。俺にも見せたいって」
 そう言って、明日加はまた食事に戻ります。
「あんた、死体を送り届けたらどうなるの?」
「死体の受取人が書類にサインした後、プログラムを消去する手順になっています」
 ここから地球までの道のりは片道切符で、僕は役目を終えたら消える存在です。そのことについては、当然のこととして受け入れていました。
 受取人は、疑似人格を削除するための専用端末を持っています。それをこの肉体の脳に近づけて、スイッチをタップすれば、僕の人格は完全に消去されます。
「せっかく意志があるんだから、飯くらい、食べたいと思ってもいいのに」
 彼はそう言いながら、明らかに一口には多すぎる量の肉のかけらを頬張りました。
「食べる手段がないのに?」
「あるだろ。誰か、生きてる人間の体にプログラムを転送するとかさ」
 ああ、と納得しかけた後、すぐに僕は首を振りました。
 この惑星で暮らす全ての移住者は、脳にマイクロチップを埋め込まれています。これは主に宇宙での生活によって起こるバイタルデータを記録するために使用されます。さらに、死後に僕のような疑似人格プログラムをインストールすることもできます。しかし、生前に疑似人格のインストールを行うと、その肉体に本来備わっている人格を上書きしてしまうため、その行為は法令で強く禁止されています。もちろんプログラム上でもガードがかかっているため、実行はできません。
「それは不可能ですね」
 僕は言いました。そうこうしているうちに明日加は二人分の料理を平らげていました。
 明日加は空になった皿の前で、何かを考え込むように指先を組み合わせています。
「せっかくだから、散歩にでも行くか」
 明日加は体を伸ばしながら言いました。
 まだ時間があることを確認し、僕は頷きました。明日加の表情や口調が徐々に和らいでいることを、僕は喜ばしく思いました。

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